村田諒太

   上ばかり見て、お酒飲んで、ちゃんと見ちゃいない。でもね、桜が咲くのは1週間、2週間ぐらいじゃないですか。そして儚く散るけど、根を張って幹がしっかりしているから来年も咲き誇れる。「練習」はその幹の一部。まさに幹が「人間」だと思うんです。 自分という人間がしっかり根を張って、幹がしっかりしていれば、夏を耐えて冬を耐えて、また春が来ると思える。桜の美しさはそこにある。 桜って、「はかなく散る」というイメージで使われやすいですけど、違うと思うんです。一瞬で散るけど違う。その一瞬のために幹や根があり、時期が来れば花を咲かせる。だからその幹であり根である「人としてどうしてあるか」。その部分が大事なんだと、桜の木を見て感じます。 でも、本当に僕は空っぽですからね。あおいだら飛んでいくような、「作り物の桜の木」みたいなもんです。たまたまボクシングというものが、僕を覆い隠してくれて、大それた人間に見せているだけです。自分がどうあるかは、これから作っていかなきゃいけない。 僕らみたいなアスリートは、若くして成功するじゃないですか。そうすると、幹がないのに先に花が咲いちゃうんですよ。順番が逆になっちゃう、そしたら、もう一度は咲かないですよね。 自分の足元、自分の立っている場所をしっかり見るという時期を、自分はこれから迎えるんだろうなと思います。すごく地味だし、今までちやほやされていたものは捨てないといけない。ちゃんとした幹があり、人の目に見えないところで、しっかり根を張って人生をこれから歩む。それが大事なんでしょうね。